考察しようとするものに混乱だけをもたらす・・・コレが断固GUYワールドかッ!?

連休中なのに予定無くて暇だし、小飼弾にでも噛み付いてPV増やそうかと思って、
最近ホットっぽい上に個人的にも気になる記事達を、

Dan Kogai氏がやばいと思うただ二つの理由 – Keep Crazy;shi3zの日記

404 Blog Not Found:ケータイとネットブックがそれでもヤバい理由

404 Blog Not Found:「パソコンってやばそうだよね」がやばい唯一の理由

の順番で読んで、長文で俺の主張(というか文句)を書いてたんだが、
改めて元になった記事
パソコンってやばそうだよね。 – Chikirinの日記
を読んでみたら、俺の言いたかった
「最終的にはネットブック+ディスプレイ+キーボードで事足りる」
とか、
「今の”いかにもPCです”って形のものはなくなる」
がきっちり書いてあって、

え?これ書いてあるなら何で小飼弾は噛み付いてるの?売名?

って思って混乱してしまった。
まぁ、それでも一応書いた文はまとめて、掲載をしておこう。

ケータイやネットブックは「作る」環境になるか否か

ケータイやネットブックは、「使えても」「作れない」から。
404 Blog Not Found:「パソコンってやばそうだよね」がやばい唯一の理由

確かに、現時点でプログラムをケータイから書こうとか、
ネットブックからプログラムを書こうと言う気にはなれない。
俺がネットブックを買わない理由も、プログラムに向かないからだ。
理由は誰の目にも明らかな通り、画面もキーボードも小さくて書きづらいからだ。
多分デザイナー系の人も、ディスプレイが小さいと言う似たような理由で敬遠しているのではなかろうか。

だが、ケータイやネットブックが未来を開くアイテムであることは疑いようが無い。
今や一億総ケータイ時代の勢いだし、既に一昔前のTVのように、
一家に一台から一人に一台、いや複数台にケータイ/ネットブック/PCを持つ時代は来ている。
もし今後、みんながケータイやネットブックでプログラムを書きたいと思うなら、
きっとケータイやネットブックからの記述に特化した言語か、
IDEがきっと出てくる。

かつて、JavaがEclipseという最良のパートナーを得て普及した(と俺は思ってます)ように、
ケータイやネットブック上でプログラムを書くことが簡単になるような環境はきっと出る。
例えば、wonderflというサービスがあるが、コイツはブラウザだけでFlashのコードを書くことが出来る。
コレをもう少し進化させれば、ケータイからプログラムを書き、走らせることも可能になりそうな気がする。
もう少し進化させるとは、Flash Liteを無視して、AS3がケータイで走るようになるとか。そんな感じかな?

俺たちはいつまでも小作農か否か

ケータイとネットブックで「作る」というのは、小作農であることを受け入れることなのだ。
404 Blog Not Found:ケータイとネットブックがそれでもヤバい理由

同様に、デスクトップPCの世界にも革命は来ると俺は思う。
例えば、現在はブログサービスなどは、一般の人が知らないような、
何処かにあるサーバリソース上でのみ動いている(弾の言う通りに)。
が、いずれその時代は終わるだろう。
これからは、各家庭に1台くらい普通にサーバが置かれる時代になっても、何の不思議も無い。
例えば冷蔵庫のように、一家に一台サーバが置かれ、
常時動き続ける日が来るのではないだろうか?
しかも、エンドユーザにはわからないような、スマートな感じで。

Windows Home Serverの超進化版が出てきて、風呂の温度を調整するかのごとくお母さんがサーバを調整できるようになるだろう。

もちろん、完全に個人がサーバの面倒を見るのは難しいので、SECOM的な感じで、
各家庭のサーバを見守るサービスが出てくるのではないだろうか?
何か異常があれば、すぐに検知して勝手に直してくれるか、お知らせしてくれる。

このような時代においては、弾の言うような「小作農」だの「地主」だのという
区別は無くなる。確かに農地には限りがあるので、たくさんの土地を持つ地主が強いが、
インターネットとかその辺りの世界においては、土地は比較的簡単に創造し、売り出せる。

まぁ、土地は簡単に作れても、ネットワークと言う名の道路の方は、
現時点では簡単に作れそうな技術が無いが・・・。
とは言え、いろいろな新技術を組み合わせることで、
人々が自由にネットワークを作り上げられる時代が来るような気もする。

繰り返しは悪か否か

作るものと使うものの二極分化がそうして進んでいく。ローマ帝国から21世紀まで、歴史は繰り返すばかりなのだろうか….
404 Blog Not Found:ケータイとネットブックがそれでもヤバい理由

なぜ、繰り返すことに対して嘆きの論調なのかがわからない。
繰り返すことの何が悪いと言うのだろうか?
何度も繰り返すというのは、ウォーターフォールと言う古い方法論に
取って代わるべくして生まれた、スパイラルモデルに合致する方法だ。
つまり、繰り返しによってより良いものが出来るはずなのだ。
歴史が繰り返すのは、実は繰り返しこそがベストな方法論だからなのでは?

まとめるとどうなるか?

俺の言いたいことは、纏めると以下の通り

  • ネットブックやケータイはI/Oがしょぼいけど、それにあわせたプログラミング言語やIDEが出てくる
  • 一家に一台、冷蔵庫のようにサーバが置かれ、各人のブログなどはそこに置かれるようになる
  • 歴史は繰り返しのように見えても、徐々に進歩している。繰り返しを嘆くことは、逆に愚かな事

で、将来的にPCはどんな風になるのかを考えると、
「ディスプレイ」が付くのは、ケータイやネットブックなどの
「持ち運び用の機器」のみになると思う。
そして、デスクトップPCは基本的にテレビに接続され、
適宜キーボードやマウスを接続して使用する形になるので、
USBを挿す穴が10個以上付いた、雲丹の逆バージョンみたいな形になるのではないだろうか?

纏めてるうちに混乱してきた

話をもとに戻す。結局ケータイとネットブックで満足できる人というのは、作りたいという欲求がない人と言ってもよいだろう。そして「使う」だけしか能がない人々の得る報酬は低く、そしてさらに低くなろうとしている。
404 Blog Not Found:「パソコンってやばそうだよね」がやばい唯一の理由

纏めまで書いて思ったのだが、弾の主張はやっぱりおかしい。
そもそも、ケータイとネットブックを混同するのがおかしい。
一般の人々に、「パソコン使って何か作って報酬を得よう」と言う発想を強いるのもおかしい。

何かがおかしい。
この議論そのものがおかしい。
こんな状態で記事を世に出す俺が一番おかしい。

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